会員の研究
  第1報 『古代刀の「研磨刀剣」と日本刀について』
     その2
                          牧野 克昭
・「6世紀後半頃」
 群馬県前橋市総社町二子山古墳の鉄大刀  ☆1
 地肌は、全体に板目に杢目肌が入り肌立ち、大小の沸がよく働き、
 各所に渦巻肌があり映り立つ。鎬地には、綾杉状の大肌がある。
 刀身の刃文は直刃調にのたれを交えて、沸深く小沸付き金筋が入り、
 腰元で焼き落とす。鋒の刃文は、乱れ込み尖りごころに浅く返る。
 刀身の部分は鎬造りである。


 

    
         全長111.6p、刃長91.1p、茎長20.5p

        
   参考日本刀:短刀(重要美術品)越中国則重(鎌倉時代末期) ☆3
・「7世紀初頭頃」
 東京都大蔵石井戸南横穴出土の鉄大刀   ☆1
 切刃造り。地肌は、全体的に大小の板目肌が入り、地沸がよくつき
 地景が入る。刀身の刃文は、のたれと乱れ刃を交えて焼かれてい
 る。鋒の刃文は、のたれ込み返る。

 

      
    全長54.6p、刃長48.1p、茎長6.5p欠
・「7世紀頃」
 島根県安来市植田町林原かわらけ谷横穴墓出土
 横穴墓から出土する鉄刀剣は、錆に覆われているが、錆の中の鉄
 の残存状態が良いものが多い。たたら製鉄でできた硬鋼(玉鋼)を
 用いて、折返し鍛錬により造られたものと思われ、刀身の地肌と刃
 文が精美に輝き美しい。
 切刃造りの刀身の地肌は、小板目に板目まじり細かく地景はいる。
 刃文は、細直刃で小沸付き
 カマス鋒まで入り焼詰になる。

 
    島根県立古代出雲歴史博物館展示の装飾大刀  ☆4

  

   日本刀の研師により研がれた刀身

  

 参考日本刀:脇指(重要文化財)山城国来国光(鎌倉時代末期) ☆2
◆上記の地鉄(地肌)と鍛錬方法の時代ごとの移り変わりについ
 て考察する。5世紀中期頃以前:この時代の前までは、奈良県石
 上神宮の鉄大刀にみられるように、大肌がまじりの柔らか味のあ
 る地鉄で刃文の焼入れがない。このことは、鍛錬回数を多くしなく
 ても、不純物が少なく良質な地鉄(地肌)が造れるような鋼を入手
 することができたと考えられる。(舶載品の鉄廷は炭素量が約0.1
 〜0.7%:大和6号墳出土鉄廷資料)
 そして、硬鋼の刃鉄(鋼)と軟鋼の地鉄部分を組み合わせ、ずぶ
 焼入れや自然放冷による焼入れ方法と思われる。時代的にはま
 だ短甲(たんこう)で、徒歩による直刀での「刺撃(しげき)」よる戦
 いであったと思われ、横からの大刀による打ち込みには強度不足
 であったと考えられる。
 5世紀中期頃以後:この時代の後からは、挂甲(けいこう)と騎馬
 が朝鮮半島より入ってきて、騎馬との戦いにおいて「斬撃(ざんげ
 き)」するときの強度を高める必要性が生じたと思われ、新しい鍛
 造技術も入ってきたと考えられる。特に、北関東と越前から出土す
 る直刀の鉄大刀にみられるように、板目肌、杢目肌、柾目肌等の
 いろいろな地鉄(地肌)の出現や、直刃、のたれ刃、乱れ刃、互の
 目刃等の粘土(ねばつち)を使った土取り焼入れによる刃文の出
 現がある。このような変化にとんだ多様な地肌や刃文は、『日本書
 紀』の記述にある在来の技術による倭鍛冶(やまとかぬち)と渡来
 集団の韓鍛冶(からかぬち)との新旧の技術の融合によるものか
 もしれない。
 独自のたたら製鉄技術による硬鋼(玉鋼)のものか、または輸入
 品による炭素量の多い銑鉄を材料として精錬(左下法)したもの
 なのかは憶測しかできないが、鍛造の鍛錬回数を多くして強靭さ
 を増し、炭素量を調節し、硬い焼入れのできる炭素鋼を造りだし、
 地刃の皮鉄部分の硬鋼と芯鉄部分の軟鋼を組合せることにより
 靱性を増して、大刀による横からの打ち込みに対して、鉄大刀の
 刀身を折れにくくするような日本刀に近い技術を生み出したものと
 考えられる。そのためには、刀身全体に焼が入って折れやすくな
 るのを防ぐために、地鉄部分には焼が入らないようにし、刃の部
 分のみに焼入れが出来るように粘土(ねばつち)を使った土取り
 による刃文の焼入れ方法を考えだし、高い温度での刃文の焼入
 れを可能にして、「硬くて強く・折れず・曲がらず・よく切れる」とい
 う斬撃力を増加させた。そして地鉄部分の地肌の働きや沸や匂
 いの働きによる美しい刃文を考えだし、美術品としての日本刀へ
 と繋がっているように思える。
 日本刀の最古刀「平安末期・鎌倉初期」時代の太刀の錆びた鎚
 目・鑢目の残る茎(なかご)から、研磨された刀身の美しい働きの
 地肌・刃文を見るたびに、武器を越えた何とも言えない崇高な感
 動を受けます。また、古墳時代の副葬された古代刀(倭風大刀)
 の錆に覆われ朽ちた刀身の一部が研磨された「研磨刀剣」の地
 肌・刃文からも、日本刀が完成される以前の古代刀工の作刀に
 かける執念のようなものが感じられる。
 5世紀後半の埼玉県稲荷山古墳出土の金錯銘鉄剣の近くから
 出土した携帯用の穴があいた砥石(長さ8.2センチ)が発見され
 た。研師の藤代興里先生の研究により京都丹波地方でわずかに
 採掘される天然砥石(仕上に使用)と確認された。被葬者が鉄剣
 を錆びないように大事に手入れをしていたと思うと、日本刀を研
 磨して常に美しく保とうとする精神が古代から現在に至るまで繋
 がっているように思える。
注記)「たち」の文字は、古代刀(大刀)・日本刀(太刀)で表記。
   「倭風大刀」は、平造りの直刀で、刃区(関)のみあり、鋒は
    フクラの付くもの。
『参考文献』
☆1『古代刀と鉄の化学』石井昌國・佐々木捻
☆2『名物刀剣・宝物の日本』徳川美術館図録
☆3『清麿展』佐野美術館図録
☆4『古代出雲歴史博物館展示ガイド』
  5『鉄と日本刀』天野昭次
  6『国宝金錯銘鉄剣復元製作報告書』2014埼玉県立歴史と
   民俗の博物館
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